大判例

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高松高等裁判所 昭和26年(う)323号 判決

証人植松キクエの証言は原審の公判廷で述べたものが真実であつて、公判前裁判官の面前における供述は虚偽であると主張する所論は、記録上何等根拠のない独断に基いて原審の適法な証拠取の捨を非難するもので採用できない。

ところが、原判決は「昭和二五年五月二一日被告人が父広三郎と口論の上掴み合い憤激の極同人を殺害しようと決意し日本刀で斬付けたが、同居人の植松キクエが強く制止した為広三郎の左上膊部に長さ十糎、深さ三糎の切創を負はしたのみで殺害目的を遂げなかつた」との事実を認定している。その引用証拠の中で被告人の殺意を認定する資料としては原審第二回公判調書中証人宮武広三郎の「被告人がぶち殺してしまつてやると言つてドスを大上段に構へて同証人に斬付けた」との供述記載があるだけで、その外には何もない。争闘中に相手に対しぶち殺してやるなどと、その場の空気から不用意に発言することは往々見聞することで、そう言つたからとて必ず殺意があるとはいへない。また日本刀で大上段から斬付けたからといつて必ず殺意を認めねばならないわけでもない。子が親に殺意を抱くというようなことは余程の例外であるから、それ相応の特別の理由がなければならないが、原判決の認定したところは「被告人は父広三郎の後妻と折合が悪く、その為広三郎と平素から口論喧嘩が絶えなかつたが、広三郎が当時家出していた後妻を呼び戻そうとしたことから端を発し、双方口論の上掴み合いとなり本件犯行に至つた」というのであつて、たとえ憤激の上とはいえ親を殺そうとする理由としてはやや単純過ぎる嫌いがある。記録を通覧してもその外には特別の理由は認められない。ところで被告人は原審公判で終始殺意のなかつたことを力説していたものであるが、原判決の引用した裁判官の証人植松キクエ尋問調書中「被告人と広三郎は掴合いを止めたと思うと広三郎は便所の方へ行き、被告人は床の間から二尺五寸位の日本刀を持つて来た。便所の方からすぐ引返した広三郎がそれを見てさあ斬れ、斬れと言つて被告人に迫つたので、被告人は机にもたれていたが、その時いつ抜いたのか知らないが抜身のままで右手に日本刀を下げていた。そこで広三郎が被告人に荒々しい言葉を浴せると被告人も何か言つていたが、突然広三郎に斬付け、同人が身をかわしたので、被告人は二度目を斬付けた。その時証人が被告人に対し、親に向つて何をするか、といつて右手で被告人の身体を押えた。次の瞬間広三郎を見たら血が流れており、被告人がその血を見た為であろうと思うが、二・三歩後によろよろと下り元の机にもたれた。その時被告人の妻が被告人から日本刀を取上げた」旨の供述記載によると、被告人は広三郎から感情を煽られ、かつとなつて二度斬付けたが植松キクエが親に向つて何をするかといつて制止したので、被告人も俄に自己の行為に恐れて爾後の行動を停止した事情が窺われる。以上犯行の動機、その前後の情況、被告人の原審における主張などを彼此考合し、また原審第三回公判調書中証人植松キクエの供述として、「被告人と広三郎とは喧嘩しているとき互に殺してやると言つていた」旨の記載、並に被告人の司法警察員に対する第一、二回供述調書中その供述として「私は腹が立ち夢中になつていた関係で前後のわきまへなく、刀で父に斬付けたところ、父は左上膊部を押へて立つていた。私は父を斬つてすまんという気がおき、刀を持つたまま後の椅子に腰をおろした。私は父を殺すことは全然思つていなかつた」旨の記載を参酌すると、被告人が広三郎に「ぶち殺してやる」といつたのは、その場の雰囲気から不用意に発した言葉であつて真に殺意があつたわけではなく、被告人は激昂の上前後のわきまへなく日本刀で斬付けたに過ぎないものと認めるのが相当である。従つて殺意を認めた原判決には事実の誤認があるものと認められそれが判決に影響することは勿論であるから、その点の所論は理由がある。

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